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ミスターKについて

2018/7/22
読み散らかしてるのも飽きてきたので少し整理をと思い書いておきます。

戦時中の上海の様子

日本軍の真珠湾攻撃が1941年(昭和16年)12月8日。同日、上海では日本軍が共同租界に進駐し英米施設を接収したそうなので、ここから1945年8月あたりまでが戦時中ということになるんでしょうが、日本軍の介入した第一次上海事変は1932年(昭和7年)なので、おおまかに1930年~1945年あたりの事が書いてある資料をたまーに漁ったりしているところです。
興味のポイントは戦時中の上海でいわゆるギャンブル場が営業していたのかなのですが、日本軍が接収した英国のレスター医学研究所に監督官として派遣されていた近藤肇氏という人の手記に寄ればドッグレースやハイアライは営業していたようです。

暇だから碌なことはしない。朴さんにフランス租界のハイアライやドッグレースそれに競馬場や中国人街にある賭博場へ連れて行ってもらった。ところがそれからの私はハイアライとドッグレースに入りびたりとなってしまった。“(西多摩医師会報1984年8月1日142号:~戦中日記余白~あの人この人会いたい人より)

賭博なんかの営業は実質日本軍機関の許可なしにはムリだったことをうかがわせる記述のある本もありました。

1941年、葉清和はシャーファ公司のシーズ号に乗って上海へ行った。葉は南京に行って汪の偽政府から賭博場開設の許可を得たのだが、上海に戻って準備をはじめると、上海の日本の傀儡機関が承認しなかった。盛老三と汪少丞がぶち壊したのだという。日本軍占領期、上海の阿片と賭博の権利は盛と汪が独占しており、葉が賭博場を開けば彼らの利益が奪われるとおもったのだろう“(オールド上海阿片事情より)

こんな中で競輪の興行やると考えると、特務機関の交渉とか元陸軍の肩書なんかは必須かもしれません。実際にあったかはいまのところ不明ですが。

ミスターKの行方

昭和3年7月26日(木曜日)付けの官報にて、卒業生徒陸軍士官学校第40期 225人本日17日卒業セリ、の項目に近衛騎兵連隊(ミスターK)の記載を見つけた。
続く…

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以前ブレードランナー2049という映画でライアンゴズリングが走ってる様子をみてて、ふと、2049年に発足当初から競輪やってる仙人がいたとして競輪歴何年になるんだろうと思い勘定してみたところ101年ということに気が付きました。それ以来その競輪仙人が見聴きしたであろうことをたま~に調べたり想像したりしていました。
先日買った本(*1)で、倉茂武(倉茂貞助)氏という人が競輪の発案者だということを知り、さらに戦時中の上海で競輪をやってみたことがあるが…といった記述を見つけ、仙人なら自転車競技法以前の話も知ってるよなと思い、倉茂氏や戦時中の上海についてちょこちょこ調べたりしております。
調べものの目標としては、倉茂氏が上海のどこでどういう立場で競輪やったのか、客層はどんな人らか、その様子を写した写真や絵あたりを探し出すことかなぁと。

青空文庫で読むことができる豊島与志雄(1890-1955)の上海の渋面という作品には、《賭博場内の有様は妙である。その内部は予想に反してひっそりとしている。人々はただ黙々として金を受け渡してるだけで、その顔を見ただけでは勝ったのか負けたのか見当もつかず、喜びや悲しみを浮べてる眼付は見えず、勝負を度外視してただ賭博そのものだけを享楽してるようである。その顔付は、傍の小房内で阿片吸飲に陶然としてる人々のそれと、ちょっと見たところでは区別がつかない。斯かる賭博場は日本人には禁止の場所であるが、日本人が多少出入しているハイアライ(*2)などで、馬券よりも遙かに小額のその券を買って、あらわに喜んだり悄気たりしてるのは大抵日本人で、支那人は最も平然としている。》などという部分がありますが、1842年の南京条約後に作られた上海租界のそういうところに1930年頃になって食い込もうというのはかなり難しそうだなぁという気もしました。

(*1)競輪文化史(古川*2018)
(*2)スカッシュみたいな感じの球技

まあ、ボチボチ内容を追加していこうと思います。

雑多な年表
1840年:アヘン戦争
1842年:南京条約
1846年:英国租界建設
1847年:仏国租界建設
1851年:太平天国運動
1866年:根岸競馬場建設
1867年:大政奉還
1872年:上海に日本領事館
1877年:西郷どんが西南戦争で敗れる
1890年:宮田が国産自転車製作
1895年:下関条約・ヴァイオレットスミス嬢の事件(小説)
1896年:大日本双輪倶楽部が不忍池で自転車競走
1902年:夏目漱石が初めて自転車に乗ったらしい・三井物産が上海紡績を買収
1904年:日露戦争
1911年:辛亥革命
1921年:第一回中国共産党全国大会(毛沢東も出席)
1923年:旧競馬法施行
1925年:530事件(上海全域にわたるゼネスト)
1926年:倉茂氏が陸軍士官学校豫科卒業(近衛騎兵連隊配属)
1927年:上海クーデター(蒋介石が共産党やそれに煽られた労働者に対し武力行使)
1928年:倉茂氏が陸軍士官学校本科卒業(第40期)
1931年:満州事変
1932年:上海事変
1934年:満州国の皇帝に溥儀
1936年:226事件
1937年:盧溝橋事件・倉茂氏が陸軍を退役したらしい(大宮競輪ウェブサイト)
1941年:真珠湾攻撃・日本軍が上海を占領
1942年:倉茂氏が華北114部隊に配属されたらしい(最相葉月氏のさいとび)
1945年:ポツダム宣言
1948年:自転車競技法