縄文人

久しぶりの温泉だった。緑色の湯がエキゾチックな雰囲気をかもし出している。
長谷川の住んでいる調布の近くにも温泉と名のつく施設がいくつかあるが、ここに比べたらとても温泉と呼べるものではなかった。
青森県への出張が多い長谷川は、毎回温泉に入るのを楽しみにしていた。

青森県はおおむね3つの地域に分けて語られることが多い。
青森市や弘前市を含む日本海側の地域は津軽地方、
むつ市などのある下北半島先端部は下北地方、
三沢市や八戸市のある下北半島つけね付近は三八上北地方と呼ばれている。

普段は三沢市内に宿泊することが多いため、青森市内にある三内温泉に来るのは初めてだった。

長谷川が大部屋の休憩室で涼んでいると、声をかけてきた男がいた。

「長谷川さんじゃないですか?珍しいですね」

調布の自宅ではお隣さんの澤田だった。
実家が青森県の五所川原だということは知っていたが、ここで会うとは意外だった。

「おう、澤田さんか。ここにはよく来るのかい」

「じつは、あさってから青森競輪に出走するんですよ」と、澤田が壁に貼ってあるポスターを指差しながら言った。

「それはご苦労さんだね。競輪場はこの近くなのかい」

「そうなんですよ、今の競輪場はここから山の中なかに分け入って行くんですよ。
開催中の選手宿舎はその横なんですけど、ボクがデビューした頃はここが青森競輪場の選手宿舎だったんですよ。
その頃の競輪場は海のほうにありましたけどね。長谷川さんは何でまたここへ?」

「夕方、青森空港からの便で東京へ帰ろうと思ってね。八戸まで新幹線が開通したら飛行機使うこともできなくなるしね」

「そういえば、来月開通なんですね。ボクにとっては青森まで延びてくれるとありがたいんですけど」

「それにしても青森競輪場が縄文バンクとはどういうことなんだい」

「近くに三内丸山遺跡が見つかったもんだから縄文バンクだなんて言ってるらしいんですよ」

「え、三内丸山遺跡の横に競輪場があるのかい」

「いえいえ、競輪場は山の中ですよ。ずっと上り坂。歩いて行けるようなところじゃないんですよ」

「東京の競輪場みたいに周辺に民家なんかはないのかい」

「競輪場の宿舎から見えるのは木と山だけですよ。地図を見ると集落はあるみたいなんですけどね」

「その辺にも縄文人は住んでいたのかな」

「どうですかね。ほんとに山の中ですよ」

縄文時代というと何千年前くらい前なのだろうか。長谷川は競輪場よりも遺跡の方に興味があった。
以前から行ってみたかったがなんとなく行きそびれている。今回も温泉に来てしまったので時間がなかった。

「縄文人についてどう思う?」

自宅に戻った長谷川は、夕食を摂りながら大学生の娘に聞いてみた。

「縄文人だなんて、三内丸山遺跡にでも行って来たの?」

「青森で隣の澤田さんに会ってね。あさってから青森競輪場でレースがあるらしいんだ」

「澤田さんってこざっぱりした感じの人だと思ったけど」

「三内丸山遺跡の近くに三内温泉があるんだけど、そこで中澤さんに会ったんだ。昔は選手宿舎だったらしいんだよ。
青森競輪場のポスターが貼ってあったんだけど、競輪場のことを縄文バンクだなんて書いてあったんだ」

「なんだ、澤田さんの顔が浅黒いから縄文人を連想したのかと思った」

「縄文時代というと何千年前くらい前なのかな」

「一口に縄文時代って言っても縄目模様の土器が使われていた時代全部のことだから、すっごく長いみたいよ。
1万2千年前から3千年前くらいだって書いてある本もあるし。三内丸山遺跡は5千年前くらい前のものじゃない?」

「縄文人で1万年後のことを考えたヤツなんかいるのかな」

「さあ、その日の生活で精一杯だったんじゃない」

「日本史を研究テーマにしてるんじゃなかったのか?」

「あたしが研究してるのは奈良時代の装飾品のことなの。縄文の話は年表に書いてあることぐらいしか知らない」

「縄文時代の出土品にも装飾品みたいなのがあるだろ。奈良時代の装飾品と比較したりしないのか」

「んー、分類するだけで精一杯」

「どういう風にまとめようとしてるんだ?」

「ぜんぜん考えてない。とりあえず種類を調べることと分類することだけ」

「その日ぐらしな研究だな」長谷川は苦笑しながら言った。

「検査資料見てくださいよ」

再処理会社に勤める西川から電話が入ったのは昼過ぎだった。

「忙しいんだよ。検査資料なんか見てる暇はないんだよ」と、長谷川は断った。

「明日、30分だけで結構ですから。このあいだ見てもらった分の補足資料だけですから」

「30分だけだぞ。こっちの会議室はとれないから場所はそっちで用意してくれ」

「わかりました。あとでまた電話入れます」

この日、長谷川の班は野党議員からの質問状に対する回答を作成するのにおおわらわだった。
民間業者の相手なんかしてる暇はなかった。

翌日の午後、作業をひと区切りつけた長谷川は西川の連絡してきた雑居ビルに歩いて向かった。
長谷川の働いている経済産業省別館前の横断歩道を渡ってすぐのところだった。
入口のところに西川が居たのですぐわかった。わざわざ長谷川を待っていたようだった。

「お忙しいとこすみません。4階の会議室を予約してありますんで」

長谷川は西川の案内でビルの中に入った。
会議室に入ると座っていたその場にいた人々がいっせいに立ち上がって頭を下げた。
一服してから始めてほしかったが、資料が机の上にきちんとそろえてあるのを見て、まあいいかと思った。

会議の内容は、先日指摘しておいた資料の確認だけだった。
不備はなかったので、長谷川は資料に自分のサインと日付を記入した。
ありがとうございますと言って担当者が頭を下げた。15分もかからなかった。

「長谷川さん、たばこ吸っていきませんか。まだ10分以上あるでしょう」西川が言った。

別館にもどれば館内に一般職員が喫煙できるところは1つしかない。

「長谷川さん、こんど青森に来られたとき馬刺し食べに行きましょうよ。十和田にいい店見つけたんですよ」

「いいんだけど、そういうの最近うるさいんだよ」

「わかってますよ。新型炉の人が金もらって捕まった話でしょ。割り勘ですよ割り勘。心配しないでくださいよ」

「それにしても最近いろいろあるな。北朝鮮から帰国した人のお兄さんって、君のところに出向してきてるんだって?」

「そうらしいですね。話したことないですけど。それより長谷川さん、即日交付の件は検討していただけましたか」

「ああ、やっぱりだめだよ。保安院に持ち帰ってから精査してからでないと。即日交付は無理だな」

「何とかなりませんかね。ほんの数日ですけど、何十億円も違ってくるんですよ。何十億円って言ったら、あたしのクビなんか簡単に飛んじまう金額なんですよ」

「何言ってるんだ。出向元の電力会社に戻るだけだろ」

「戻ったっていつまでも居られるわけないですよ。あたしなんか現場で使えないから営業みたいなことやらされてんですよ」

話すことはいろいろありそうだったが、約束の30分は過ぎていた。
長谷川は灰皿の上でタバコの火を消して立ち上がった。

「すみませんね、お引止めして。来週はあたしも青森行きますから」

西川に向かって軽く手を上げてから、長谷川は足早に職場へもどった。

一日中、検査資料とにらめっこだった。今回の出張は2泊の予定だった。
その日の作業を終えた長谷川に西川が声をかけてきた。

「あたしもちょうど帰るところなんですよ。タクシー乗って行きませんか。三沢にお泊りですよね。夕飯付き合ってくださいよ」

タクシーが着いたのは西川の言っていた馬肉料理の店だった。三沢からは少し離れていたが、作業現場のある六ヶ所村からの距離は似たようなものだった。

「馬刺しもありますけど、ここはバラ焼きがうまいらしいんですよ。前に五戸の店に行ったって言ってたでしょう。そことはちょっと違うみたいですよ」

「そんなこと言ったっけ?五戸では義経鍋とかいうのを食べたな」

「あ、そうだ井上さんに聞いたんだ。長谷川さんと行ったって。すいません」

「あの人そんなこと言ってたのか。しょうがないな」

文句を言いながらも長谷川は楽しかった。
ここ数年、出張と言えば東京と青森の往復ばかりだ。いいかげんに嫌になってくる。
たまには名物料理のひとつも味わいたかった。
井上と言うのは長谷川が保安院に入った頃の班長だった。別の課に移動したが今も別館でのフロアは同じだ。
もともと長谷川は大手電機メーカーで働いていたが、原子力の知識を買われて今の仕事に就いている。
そのせいか同じような年齢の井上とはよく飲みに行ったりしていた。

「長谷川さん、この間言ってたでしょ。北朝鮮から帰国した人の話。あたしも週刊誌で読んだだけなんですけどね。小泉さんが北朝鮮行ってすぐですからね驚きましたよ。長谷川さん何か知ってたんでしょ」

「バカ言え。俺みたいな木っ端の耳に入るような話じゃないだろ。新聞読んで知っただけだよ」

「帰国した人のお兄さんが同じビルなんですよ。あたしも玄関でマスコミの取材受けたりしないかとヒヤヒヤものですよ」

「取材受けるような顔じゃないだろ。こっちはそれどころじゃないからな」笑いながら長谷川が言った。

長谷川たちの前に馬肉料理が次々運ばれてきた。馬肉がこんなにうまいものだとは思わなかった。
ひととおり食べ終わった後、長谷川がタバコに火をつけるのを見てから西川が言った。

「もうプールも満杯なんですよね」

「そうらしいな」

「なのに使用済核燃料はどんどん出てくるんですよ。釈迦に説法する気はありませんけど、ヤバイのは長谷川さんがよく知ってるでしょ」

「俺の仕事は事業推進じゃなくて安全審査が中心だよ。高レベル放射性廃棄物の最終処分方法も決まってないのに処理も何もあるかよ」

「学者の先生方はいろいろ言ってますけど、高レベル放射性廃棄物をガラスで固めて、耐用年数が千年のオーバーパックに封入して地下深く埋める。これで一万年は大丈夫。このシナリオで決定じゃないんですか」

「仮にそういうシナリオで決まったとしても、本当に一万年も大丈夫かという審査を誰かがしなきゃならなくなるな」

「どうやって審査するんですか。長谷川さん」

「さあな」

2本目のタバコに火をつけながら、長谷川は娘と話したときのことをふと思い出した。

「それにしても、一万年前の人間に現代のことを考えたやつなんかいるのかな」

「一万年前って言ったら縄文時代ですかね。六ヶ所の郷土館に出土品がいっぱいありましたよ」

「あの辺りにも遺跡があったんだな。そのうち工場も遺跡になるんじゃないないのか」笑いながら長谷川が言った。

「冗談はよしてくださいよ。あたしなんかは1日1日精一杯ですよ。現場の者もそうですよ」

「それはみんな同じだろうけど、縄文人もそんな感じだったんだろうな」

「縄文時代に未来や過去の話をしたのはきっと占い師か預言者だけですよ。今だったら学者の先生方ですよ」

「そうだろうな。でも土偶やなんかを埋めても人畜無害だろうけど、高レベル放射性廃棄物は違うよな」

「それは承知してんですけどね。あたしらは工程通りに作業を進めたいだけですよ。上の人間の決めたレールの上を一生懸命走ってるだけですよ。それで飯食ってんですよ」

この連中はいつも工程のことを言う。1日1日精一杯なのは現代人も縄文人も同じなんだろうと長谷川は思った。
違うのは予定表があるのかどうかだけかもしれないとも思った。

「このあいだ、青森の開催が終わったあと、三内丸山遺跡に行ってみたんですよ。いままで興味なんかなかったんですけどね」

「俺もそのうち行こうと思ってるんだけどまだだね」

日曜日の朝、長谷川の住む町の町内会では街頭の掃除を行っている。
長谷川も時々参加することにしている。長谷川は掃除をしながらいつも参加していると言うお隣の澤田と話した。

「実はもう競輪選手やめようと思ってるんですよ」

「え、まだ40才ちょっとじゃなかったっけ?」

「まあ、40才過ぎてもS級で活躍している選手は何人もいますけどね。ボクなんかは4年前に骨折してから成績は下がる一方で、この1年はA級の準決勝すら乗ってないんですよ」

「でも、出走してればそれなりに稼げるんじゃないの?」

「粘る手もあるんですけど何年持つかですね。それより兄貴のやってるりんご園を手伝おうかと思ってるんですよ」

「五所川原の?」

「ええ、青森のレース後に五所川原まで行って兄貴に会ってきたんですよ。かなり体の足の具合が悪いらしくてね。子供もいないし、りんご園続けて行くかどうか迷ってるみたいでした」

「りんご園の話はそのときに?」

「いえ、手伝う話はボクが骨折したときに言われていたんですよ。そんな危い商売はやめちまいなって」

澤田は兄に会った後、三内温泉で長谷川と話したことを思い出し、なんとなく三内丸山遺跡に行ってみたという。
縄文人はその日暮らしで職業の悩みもなく気軽でよかっただろうなと思ってのことらしい。

「ところがね、三内丸山ではどんぐりを栽培してたそうですよ。縄文人といってもまるっりその日暮らしでもなかったみたいですね」

「へえ、農業中心で生活していた人もいたかもしれないな」

「そうですね。ボクなんかもりんご園やったら三内丸山の縄文人みたいな感じになるのなるのかなとか思ったりしてんですよ」

「年間予定のある縄文人かい。縄文人のイメージが変わって来るよ」

「年間予定と言っても、これまでみたいにレースの斡旋をこなしていれば金が入るわけじゃないですから」

「レースはいつまで出るつもりなんだい?」

「今年で終わりにするつもりです。実はこの間、りんごの収穫も手伝ってきたんですよ」

以前から長谷川は澤田のレースを観に行くと言っておきながら一度も行ったことがなかった。
さすがに今回ぐらいは観に行く気になった。

「今年のレース予定は?都内でのレースはあるのかい?」

「今週末から京王閣です。都内でのレースはそれが最後になりそうなんですよ」

次の日曜日、澤田の奥さんの案内で、長谷川は家族と京王線沿いにある競輪場に行った。
競輪の選手は開催が始まると場内に拘束されて外部とは連絡を取ることを許されていない。澤田には行くことを知らせていなかった。
競輪開催日だけ開く臨時改札口から出ると競輪場はすぐ目の前だった。競輪場に入るのは生まれて初めてだった。

午前中だからかどうかはわからなかったが、場内は閑散としていた。
2~3人の客を相手に予想屋がなにかしゃべっているのが見えたが、車券を買う気はなかった。

澤田の出るレースはあらかじめ調べてきた。澤田は第2レースに出走するらしい。
モニターを見ると第2レースの締切10分前だった。少し待っていれば始まりそうだ。
奥さんがいるので家族用の席に入れるらしかったが、誰もいなかったので長谷川たちは走路のすぐそばで観ることにした。
金網が邪魔だったが選手の表情まで見える近さだった。

澤田は白い服を着て1番の番号を付けていた。
号砲が鳴ると澤田がすばやく飛び出した。
ゆっくりと走りながら、5番を付けた若い選手が澤田の前に入った。
最終周回の合図である鐘が鳴りはじめると、5番の選手はどんどん加速していった。
澤田はその後について行き、最終4コーナーでは2番手を走っていた。5番の選手を抜けば1着だったが抜けなかった。
澤田は後続の選手1人に抜かれ、結局3着でゴールした。

長谷川は9人中の3着ならまずまずじゃないかと思ったが、場内のところどころで罵声とも声援ともつかない声が起こった。
長谷川も何か澤田に声をかけてやろうと思ったが、何と声をかけてよいかわからなかった。

レースを終えてゆっくり周回していた澤田が前を通った。

「おい」澤田が振り向いた。

「縄文人」つい、そんな言葉が口から出た。

澤田は一瞬バツの悪そうな顔をしていたが、観に来てくれたことがうれしかったのか白い歯を見せて大きく手をあげた。

長谷川は7年ぶりに三内丸山温泉に入っていた。緑色の湯は昔と同じだった。
青森に来るのも久しぶりだ。六ヶ所の工場も本格稼働はまだまだ先になりそうだった。
仕事で青森に来ることはもうないだろう。なにしろ今年で定年だ。

長谷川は明日、延び延びになっていた三内丸山遺跡の見学に行ってみようと思っていた。

(終)